下鍵山村(読み)しもかぎやまむら

日本歴史地名大系 「下鍵山村」の解説

下鍵山村
しもかぎやまむら

[現在地名]日吉村下鍵山

広見ひろみ川の上流域に位置する。北は上鍵山村、南は上大野かみおおの村に接する。

延宝九年(一六八一)の「吉田古記」に「下鍵山村」と村名がみえるが、中世から近世初期にかけては鑰山かぎやま村と称されていた。明暦三年(一六五七)の吉田藩分封の頃、上鍵山・下鍵山両村に分割されたと考えられる(→上鍵山村。吉田藩領。

下鍵山村分の太閤検地石高は一三三石三斗五升九合六勺で、正保検地では二四九石二斗六升九合となっている。

「郡鑑」によると当村の庄屋日向谷ひゆうがい村庄屋の兼任であった。「吉田古記」によると当村の檀那寺は上鍵山村の医王いおう寺であり、また山神王さんじんおう宮の祭礼は上大野村の神官が執行しており、小村のため独立性が弱かったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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