井谷正吉(読み)イタニ マサヨシ

20世紀日本人名事典 「井谷正吉」の解説

井谷 正吉
イタニ マサヨシ

大正・昭和期の農民運動家 衆院議員(社会党);全農愛媛県連会長。



生年
明治29(1896)年4月29日

没年
昭和51(1976)年2月10日

出生地
愛媛県北宇和郡日吉村

学歴〔年〕
宇和農卒

主な受賞名〔年〕
愛媛県功労賞〔昭和46年〕,愛媛新聞賞

経歴
旧庄屋の家に生まれる。大正7年家出をし、大阪・奈良・三重などを放浪、8年三重県度会郡七保村の役場に勤務する。そこで村長とともに全国町村長会を結成、義務教育費全額国庫負担運動をおこす。その後上京して社会主義を学び、七保村に土民協会を組織。11年日農の旗揚げに参加。同年日吉村に帰郷し、5月には四国で最初のメーデー集会を開催。10月自給自足の自治村“我等の村・明星ケ丘”を建設、“我等の村運動”を始めた。15年日農予土連合会を結成、また労農党南予支部を創設。昭和2年には全日農愛媛県連を設立、3年日農と全日農が合同、全農愛媛県連を結成し会長を務める。戦後は社会党に入り、22年から衆議院議員を4期つとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「井谷正吉」の解説

井谷 正吉
イタニ マサヨシ


肩書
衆院議員(社会党),全農愛媛県連会長

生年月日
明治29年4月29日

出生地
愛媛県北宇和郡日吉村

学歴
宇和農卒

経歴
旧庄屋の家に生まれる。大正7年家出をし、大阪・奈良・三重などを放浪、8年三重県度会郡七保村の役場に勤務する。そこで村長とともに全国町村長会を結成、義務教育費全額国庫負担運動をおこす。その後上京して社会主義を学び、七保村に土民協会を組織。11年日農の旗揚げに参加。同年日吉村に帰郷し、5月には四国で最初のメーデー集会を開催。10月自給自足の自治村“我等の村・明星ケ丘”を建設、“我等の村運動”を始めた。15年日農予土連合会を結成、また労農党南予支部を創設。昭和2年には全日農愛媛県連を設立、3年日農と全日農が合同、全農愛媛県連を結成し会長を務める。戦後は社会党に入り、22年から衆議院議員を4期つとめた。

受賞
愛媛県功労賞〔昭和46年〕 愛媛新聞賞

没年月日
昭和51年2月10日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井谷正吉」の解説

井谷正吉 いたに-まさよし

1896-1976 大正-昭和時代の農民運動家,政治家
明治29年4月29日生まれ。大正11年郷里の愛媛県北宇和郡日吉村に明星ケ丘我等の村を建設。小作争議,部落解放運動を指導し,また労働農民党,社会大衆党の結成にくわわる。戦後は社会党の結党に参加,昭和22年衆議院議員(当選4回)。昭和51年2月10日死去。79歳。宇和農蚕学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android