メーデー(読み)めーでー(英語表記)May Day

翻訳|May Day

デジタル大辞泉 「メーデー」の意味・読み・例文・類語

メー‐デー(May Day)

毎年5月1日に行われる国際的な労働者の祭典。1886年5月1日、米国で行われた8時間労働制要求のゼネストデモが発端。1889年の第二インターナショナル創立大会で決定し、1890年から挙行。日本では大正9年(1920)に第1回が行われ、昭和11年(1936)以降禁止されたが、昭和21年(1946)復活。労働祭。五月祭 春》
米国で1975年5月に行われた証券市場改革。証券手数料の完全自由化、全米市場システムの創設などにより、資金調達の効率化、証券業務の合理化、銀行の証券業参入などが促進された。→金融ビッグバン

メーデー(Mayday)

《助けに来ての意の、〈フランス〉(venez) m'aiderから》船舶・航空機などが無線電話で送る国際救難信号。

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精選版 日本国語大辞典 「メーデー」の意味・読み・例文・類語

メー‐デー

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] May Day )[ 異表記 ] メイデー
  2. 五月祭。春の到来を祝うヨーロッパの祭。五月一日にメー‐ポールを立て、そのまわりで踊ったり、五月の女王を選んだりする。
  3. 五月一日に行なわれる国際的な労働者の祭典。一八八六年五月一日、アメリカ全土の労働者が八時間労働を要求してストライキを行なったことが起源。一八八九年の第二インターナショナル創立大会で、正式に決定した。日本では大正九年(一九二〇上野公園で第一回が行なわれたが、昭和一一年(一九三六)以降禁止、同二一年復活した。《 季語・夏 》 〔新しき用語の泉(1921)〕
    1. [初出の実例]「毎年のメイデイで、〈略〉火のやうな演説をする」(出典:東倶知安行(1930)〈小林多喜二〉二)

メーデー

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] Mayday ) ( 「助けに来て」の意の、[フランス語] (venez) m'aider から ) 船舶・航空機などが無線電話で送る国際救難信号。
    1. [初出の実例]「『メイ・デイ、メイ・デイ』とSOSを発したとき」(出典:紅の翼(1958)〈菊村到〉)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーデー」の意味・わかりやすい解説

メーデー(国際労働日)
めーでー
May Day

毎年5月1日、世界各地で労働者が団結と連帯とを示す集会やデモ行進などを行う国際労働日。「労働者の祭典」ともいわれる。起源は、アメリカ労働総同盟(AFL)の前身の合衆国カナダ職能労働組合連盟が1886年5月1日に決行した、8時間労働制を要求するゼネラル・ストライキで、シカゴを中心に約35万人の労働者が参加、18万人が8時間労働制を実現した。このストライキの直後の5月4日にヘイマーケット事件が起こった。1889年7月14日のフランス革命100周年記念日にパリで開かれた第二インターナショナル創立大会は、ヘイマーケット事件を記憶にとどめたアメリカ労働者の闘争を記念し、翌1890年5月1日を8時間労働制実現の国際的示威運動の日とするというフランス代表ラビーニュの提案を満場一致で採択した。当日、ヨーロッパ各国、アメリカ、オーストラリア、ラテンアメリカ諸国で第1回国際メーデーが挙行され、そのスローガンは「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」であった。翌年からは8時間労働制のほか戦争反対・平和擁護などの要求が掲げられ、今日に至っている。

 日本では1898年(明治31)4月3日、労働組合期成会が計画して禁止された労働者大運動会や、1901年(明治34)の同じ日に東京・向島(むこうじま)で開催された日本労働者大懇親会がメーデーを模したものであった。1905年5月1日、社会主義者数十名が東京でメーデー茶話会と銘打って集会を開いたが、正式の第1回メーデーは1920年(大正9)5月2日日曜日であった。この日、上野公園には15団体、約1万人の労働者が集合し、翌年から5月1日となり、回を重ねるごとに開催地、参加人員を増やしつつ、検束騒ぎを伴いながら続けられた。しかし、1931年(昭和6)の第12回を頂点に、1933年の第14回から左右分裂メーデー、1934年の第15回は4月3日に日の丸を掲げた日本労働祭が挙行されるなど、日本の軍国主義化とともに退潮し、1935年の第16回を最後に翌年から禁止された。

 第二次世界大戦後は1946年(昭和21)の第17回から復活、この年の中央メーデーは皇居前広場に50万人(主催者発表)を結集するなど、戦前をしのぐ規模で挙行されるようになった。1951年の第22回から皇居前広場の使用が禁止されて占領軍・政府との対立が激しくなり、翌1952年のメーデーは明治神宮外苑(がいえん)で開かれたが、皇居前広場に行進したデモ隊と警官隊とが衝突し、血のメーデー事件が発生した。その後は、そのときどきの労働運動の課題をスローガンに掲げながら平穏に続けられている。

 1990年代以降は、労働戦線の再編に伴い、連合(日本労働組合総連合会)系、全労連全国労働組合総連合)系、全労協全国労働組合連絡協議会)系による分裂開催が定着し、参加者も減少傾向にある。2000年代以降、3団体のうち最大規模の連合系の集会は大型連休(ゴールデン・ウィーク)の初日に開催されることが通例化し、NGO・NPOとの共同開催が試みられている。また、従来の労働組合とは一線を画した非正規労働者組織による「生存のためのメーデー」が行われるなど多様化が進んでいる。

[松尾 洋・手島繁一]

『糸屋寿雄著『メーデーの話』(1975・労働旬報社)』『法政大学大原社会問題研究所編『メーデーの歴史』(1979・労働旬報社)』『法政大学大原社会問題研究所編著『日本労働年鑑』各年版(旬報社)』


メーデー(五月祭)
めーでー

五月祭

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改訂新版 世界大百科事典 「メーデー」の意味・わかりやすい解説

メーデー
May Day

5月1日,労働者階級の団結と力を示威する国際的統一行動日。毎年この日には世界各国の多くの都市で,いっせいに休業した労働者による大規模な集会やデモ行進が行われる。

 その起源は1880年代のアメリカにおける8時間労働制を要求する運動にある。84年に〈労働騎士団〉をはじめとする労働組合が,5月1日を期して8時間労働制要求のゼネストを行うことを決め,第1回の行動として86年5月1日に〈8時間の労働,8時間の休息,8時間の教育〉をスローガンとしてストライキ,デモ行進を行った。この行動は大きな成果をあげたが,運動の中心地シカゴでは5月4日,ヘイマーケット広場に集まったストライキ参加者と武装警官が衝突し,多数の死傷者を出した(ヘイマーケット事件)。89年パリで開かれた第二インターナショナルの創立大会は,この闘争を記念して5月1日を〈万国労働者の団結の日〉と定め,翌90年に第1回のメーデーが各国で行われた。

 日本では,1905年に平民社で開催された〈メーデー茶話会〉がメーデー集会の最初のものであるが,20年5月2日(日曜日),上野公園で労働組合主催のメーデーがはじめて公然と行われた。これを第1回とし,35年まで16回開催されたが(翌年から政府により禁止),いずれも官憲の弾圧と指導者の検束がつきものであった。第2次大戦後は46年から復活し,戦前とは比較にならないほど大規模になった。52年のメーデー事件など厳しい弾圧もあったが,今日では行事はいちじるしく大衆化し,労働者の〈祭典〉とみなされるようになっている。ちなみに参加者数は1920年が1万人余,97年が全国で約200万人である。なおヨーロッパで古くからある五月祭がメーデーの原点ともいわれる。
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知恵蔵 「メーデー」の解説

メーデー

労働者の祭典。労働者が団結して権利を要求する日であり、世界的に毎年5月1日がメーデーとされている。
メーデーのきっかけとなったのは、1886年5月1日、アメリカの合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟)が8時間労働制を要求して行ったストライキ。当時の労働者は、低賃金で1日12時間以上働かされるなど、過酷な生活を強いられており、これを改善するために労働者自らが立ち上がった。3年後にパリで開かれた第2インターナショナル創立大会では、8時間労働制実現のデモを行うことが決議され、さらに5月1日を労働運動の日に設定した。これ以降、メーデーは国際社会に広がることとなった。
日本で初めてメーデーが行われたのは、1920年、東京・上野公園。集まったおよそ5000人とも1万人ともいわれる労働者らが、8時間労働制や最低賃金法の制定などを訴えた。しかし、世界大戦の足音が近づく中、36年には青年将校らによる2.26事件が発生。メーデーは禁止され、太平洋戦争が終わる45年までメーデーが開催されることはなかった。だが、終戦と同時に復活。戦後初めての46年メーデーでは、「働けるだけ喰(く)わせろ」がスローガンに掲げられ、盛大に開催された。近年、経済が安定し、5月1日がゴールデンウィークの長期休暇に含まれるようになって以来、メーデーへの参加者は減少。若い世代にはメーデーを知らない人も出てきているが、「8時間は労働、8時間は休息、そして残り8時間は自分たちの自由な時間のために」というメーデー誕生当初の主張は、いまも語り継がれている。
メーデーにまつわる事件としては、52年に起こった「血のメーデー」がある。サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約への抗議を含んだこの大会では、デモ隊と警官隊が皇居前広場で激しく衝突。デモ隊から死者2人、双方から1500人以上の負傷者を出す流血の大惨事となった。
ちなみに、ヨーロッパではメーデーを労働者の日としてだけでなく、「五月祭」を楽しむ祝日としており、花の冠をかぶせた「五月の女王」を仕立てる伝統行事などが各地で開催される。

(高野朋美 フリーライター / 2009年)

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百科事典マイペディア 「メーデー」の意味・わかりやすい解説

メーデー

(1)春の到来を祝うヨーロッパの民衆的な祝祭。古代ローマの花神フロラの祭からくるとも,ドルイド教の祭に由来するともいう。5月1日にメーポール(5月柱)を立てて,そのまわりで踊り,5月の女王を選んだりするが,柱の行事などは少なくなっている。(2)毎年5月1日,労働者の団結と連帯を示威するため国際的に行われる祭典。1886年5月1日,米国で8時間労働制を要求するゼネストがシカゴを中心に行われ,直後にヘイマーケット事件が起きた。1889年の第二インターナショナル創立大会は,これを記念して,毎年5月1日を全世界の労働者の統一行動日と定めた。日本では1920年第1回メーデーが東京で行われたが,1936年以後禁止され,1946年復活。
→関連項目啓明会下中弥三郎信友会労学会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーデー」の意味・わかりやすい解説

メーデー
May day

労働者の国際的祝日である5月1日。発祥の地はアメリカで,1884年アメリカ全土の労働組合,各種団体が8時間労働制の要求を掲げ,毎年5月1日にゼネストを決行することを決定し,86年その第1回行動を起したことに始る。第2インターナショナルは 89年の創立大会においてこれを記念し,毎年5月1日をもって8時間労働制の制定獲得に向けた国際的闘争日とし,90年には第1回国際メーデーがヨーロッパ,アメリカの各工業都市で開催された。こうしてメーデーは,その後各国で毎年行われるようになった。日本では 1920 (大正9) 年の第1回から 35年まで続いたが,政府の禁止にあって中断,第2次世界大戦後の 46年に復活し,大規模なものとなった。 52年講和発効直後のメーデーは,政府が皇居前広場の使用を禁止,一部デモ隊が広場へ行進して警官隊と衝突しメーデー事件を引起した。今日では闘争日というよりも,労働者の祝祭日として定着している。

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旺文社日本史事典 三訂版 「メーデー」の解説

メーデー
May Day

毎年5月1日に行われる労働者の祭典
1886年5月1日,アメリカの労働者がストとデモにより8時間労働要求を貫徹したが,その日を記念して,'89年の第2インターナショナル大会で全世界に拡大することを決定。日本では1905年平民社が5月1日に茶話会を開き,'20年5月2日最初のメーデーが東京上野で行われた。'36年以後弾圧で中絶したが,第二次世界大戦後の '46年盛大に復活。'52年には皇居前広場で警官隊とデモ隊の衝突事件がおきた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「メーデー」の解説

メーデー

労働者の団結を固めるため毎年5月1日に行われる集会とデモ行進。1886年にアメリカで始まったが,日本では,1905年(明治38)に平民社がメーデー茶話会を開いたのが最初の催し。20年(大正9)5月2日,東京上野公園に約1万人を集めて第1回メーデーが行われ,以後毎年開催された。36年(昭和11)3月に禁止されて一時中断したが,46年に復活した。

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人材マネジメント用語集 「メーデー」の解説

メーデー

・May Day
・毎年5月1日に各国の労働者が職場を休み、大衆集会と示威運動によって、団結と親睦を示す日のこと。
・社会情勢が安定するに伴って、労働者の権利を獲得するための争議ための決起集会から、労働者の親睦を図るための祭典へと、その意味合いは変化している。

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デジタル大辞泉プラス 「メーデー」の解説

メーデー〔J-POP〕

日本のポピュラー音楽。歌は日本のバンド、BUMP OF CHICKEN。2007年発売。作詞・作曲:藤原基央。

メーデー〔交響曲〕

旧ソ連の作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲第3番(1929)。労働歌の旋律を採り入れた作品。

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世界大百科事典(旧版)内のメーデーの言及

【インターナショナル】より

…1900年の第5回大会以降,国際社会主義大会と称するようになったが,第三インターナショナル(コミンテルン)の動きが胎動し始めてから,それと対比的に第二インターナショナルと呼ばれるようになり,それが一般化した。このパリ大会では,なかんずく,8時間労働日要求のために,翌1890年5月1日を期して国際的に示威運動を行うことが決められた(メーデーの起源)。第2回大会は91年,ブリュッセルで開かれ,国際労働者大会の一本化が実現し,チューリヒ(1893),ロンドン(1896)と大会を重ねていった。…

【五月祭】より

…また,森から切り出したモミや松の大木の枝をはらい,町や村の広場に立て,その先端に掲げた緑の葉に結びつけた紐を手に持って,みんなで柱のまわりを踊り,豊作・豊饒を祈る地方もあった。今日のメーデーの原点である。教会はキリスト教を民衆の間に広めるために,異教時代のこうした信仰・祭祀を禁止することはできなかった。…

【祝祭日】より

…中華人民共和国では,新年,春節(旧暦元日),国際勤労婦人日(国際婦人デー。3月8日),労働節(メーデー。5月1日),青年節(五・四紀念日),児童節(6月1日),建軍節(人民解放軍創立紀念日。…

【パレード】より

…軍隊を集合,行進させて司令官などが閲兵するのが原義で,社会主義諸国で行っているリーダーが壇上に並ぶ〈赤の広場〉や〈天安門〉などにおけるメーデーのパレードがその直系である。転じて,娯楽的形式をとった主として野外で行われる,成員のアイデンティティ,共同感情(国,都市,集団)を促進,高揚させるため行われる催し,ねり歩きをともなう祭り,スペクタクル一般を指す。…

※「メーデー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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