下青野村(読み)しもあおのむら

日本歴史地名大系 「下青野村」の解説

下青野村
しもあおのむら

[現在地名]岡崎市下青野町

矢作川と占部うらべ(用水)に挟まれた沖積平野の中間に位置し、東は在家ざいけ村、西は合歓木ねむのき村、南は福桶ふくおけ村、北は上青野・高橋たかはし新田村に接する。かつては青野郷に属し、周辺の合歓木村在家村は青野郷の支村という。この青野郷がいつ頃、上青野・下青野に分れたのか、詳しいことはわからないが、天正一七年(一五八九)の水野平右衛門の出した七ヵ条の条目(岡崎市史)にはすでに下青野郷とあるという。また「岡崎管内記」(岩瀬文庫蔵)によると、在家村は下青野村からの分村とみられる。

滝山寺縁起によると、建長七年(一二五五)足利尾張入道が青野料田二町歩を滝山たきさん寺へ寄進したとある。


下青野村
しもあおのむら

[現在地名]三田市下青野

北浦きたうら村の北、東境千丈寺せんじようじ(五八九・六メートル)連峰、西端に大谷おおたに山があり、大部分は山地で、青野川流域に狭長な谷底平野が開ける。慶長国絵図に下青野村とみえ、高三四六石余。正保郷帳では高四五〇石。南部山裾に天正三年(一五七五)龍珊淳朔が開創したと伝える曹洞宗青久しようきゆう寺があり、戦国期の青野氏の墓がある。高根たかね山の山頂部に青野氏が拠ったという青野城(高根山城)跡がある。千丈寺山の山嶺に松林しようりん(青林寺)跡がある。同寺は「摂津名所図会」によれば真言宗、慈心坊尊恵の開基

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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