日本歴史地名大系 「与五郎新田」の解説 与五郎新田よごろうしんでん 静岡県:榛原郡吉田町与五郎新田[現在地名]吉田町神戸(かんど)青柳(あおやぎ)村の東、湯日(ゆい)川の左岸に位置し、北は井口(いぐち)村(現島田市)。山内与五郎が中心となり青柳村の東に広がる河原芝間を開墾して起立したという(榛原郡誌)。正徳元年(一七一一)検地が実施され、同年の反別見取免定(望月家文書)では田方一〇町八反余・畑方六町六反余、相良藩領。享保六年(一七二一)村名を与五郎新田と称し、山内与五郎が庄屋となったという(榛原郡誌)。元文三年(一七三八)の青柳・井口村境訴訟覚(益田家文書)では高三八一石余。寛政六年(一七九四)三卿の一橋領となり、同年の一橋家領郷村高帳写では高三九八石余。 与五郎新田よごろうしんでん 新潟県:北魚沼郡堀之内町与五郎新田[現在地名]堀之内町与五郎新田堀之内村の枝村。「新編会津風土記」に「何れの頃にか与五郎と云者始て開くと云、昔より民居なく堀内村の農民これを耕作す」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by