朝日日本歴史人物事典 「中原章賢」の解説
中原章賢
鎌倉末・南北朝期の明法家。章継の子。出家して是円房道昭と称した。生没年は不詳だが,弟真恵の生年から生年は弘安4(1281)年以前,史料に名のみえる時期から没年は貞和4/正平3(1348)年以降と推定される。明法家の立場から式目注釈学に携わり,式目と律令格式とを対比注釈した『是円抄』を著した。建武政府の雑訴決断所結番交名に名がみえるが,建武政府の倒壊後は足利尊氏に従い,その諮問に応えて弟真恵らと共に建武式目の起草に参加した。なお,是円を幕府奉行人の家である二階堂氏の出とする説があったが,現在はその誤りが指摘されている。<参考文献>石母田正他編『中世政治社会思想』上
(新田一郎)
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