中太田村
なかおおたむら
東流する雫石川の南岸に位置し、西は上太田村。古くは太田村と称し、貞享(一六八四―八八)頃に当村および上太田村・下太田村に分村したという(管轄地誌)。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付には上太田村・下太田村はみえるが、当村はみえない。「邦内郷村志」に村名がみえ、蔵分七九四石余、馬七一。
中太田村
なかおおたむら
[現在地名]原町市中太田
東流する太田川北岸に位置し、対岸は益田村。西は南北に走る浜街道を境に上太田村と接する。中世から近世初期には太田村の内で、明暦二年(一六五六)当村および上太田村・下太田村に分村(相馬藩政史)。天保郷帳では「古者 中太田村・堀内新田弐ケ村」と注記される。明暦二年の高四九一石余(相馬藩政史)。元禄郷帳によると高三五九石余、ほかに堀内新田一三九石余がみえる。なお元禄検地高は五一二石余、ほかに新田二三石余がある(奥相志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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