中山新村(読み)なかやましんむら

日本歴史地名大系 「中山新村」の解説

中山新村
なかやましんむら

[現在地名]加古川市平荘町中山へいそうちようなかやま

内之倉うちのくら新田の北に位置する。元禄郷帳に村名がみえ高一七三石余。寛保二年(一七四二)の村明細帳(平荘村役場文書)では村の始まりを慶長七年(一六〇二)と伝え、元禄二年(一六八九)枝村おく新田が家数八軒で出屋敷したという。田七町三反余・分米九七石余、畑六町九反余・分米三五石余、ほかに田一町一反余・分米一八石余、新田畑二町九反余・分米一二石余、小物成は犬米、郷蔵一、家数三九・人数二二二(うち大工三)、牛七、産物木綿、池四(壱町が池・長池・上池・芦池)若一王子わかいちおうじ権現(現熊野神社)みよう神社・愛宕社がある。


中山新村
なかやましんむら

[現在地名]立山町中山

常願寺川中流右岸の低位段丘上、下田みさだ村の北に位置。村名は飛騨の中山から移住した者が開拓したことに由来するとも、天正年間(一五七三―九二)越後国の中山某が移住し、八幡宮を建立したことにちなむとも伝える。明暦二年(一六五六)の村御印留に村名がみえ、寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高一八三石、免三ツ八歩、明暦二―三年の新田高五石(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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