中島待乳(読み)ナカジマ マツチ

20世紀日本人名事典 「中島待乳」の解説

中島 待乳
ナカジマ マツチ

明治期の写真家



生年
嘉永3年4月15日(1850年)

没年
昭和13(1938)年1月18日

出生地
下総国銚子(現・千葉県銚子市)

本名
中島 精一(ナカジマ セイイチ)

主な受賞名〔年〕
第1回内国勧業博覧会花紋賞〔明治10年〕

経歴
文久年間、銚子に漂着した外国人が所持していた写真に興味を持ち、写真術を志す。元治1年(1864年)江戸に出て絵画を学ぶ傍ら、漢書や蘭書から独自に写真術の研究を行い、のち洋画家の横山松三郎に師事して洋画と写真術を学んだ。明治7年東京浅草で写真館を開業し、10年には松野政蔵の名で第一回内国勧業博覧会に作品を出品して花紋賞を受賞。13年頃から幻灯写真(ランタンスライド)の製作に従事し、その普及活動にも当たった。27年大日本写真品評会評議員に就任絵画主義(ビクトリアリズム)を提唱して写真術の発展・芸術性向上に尽力。また同年写真館を東京呉服橋に移転。晩年牛込弁天町に居住した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島待乳」の解説

中島待乳 なかじま-まつち

1850-1915 明治時代の写真家。
嘉永(かえい)3年4月15日生まれ。横山松三郎にまなび,明治7年東京で写真館を開業。10年第1回内国勧業博覧会で花紋賞。その後も受賞し,のち審査員。23年文部省の依頼で幻灯写真を制作し,普及につくす。弟子に宮内幸太郎ら。大正4年死去。66歳。下総(しもうさ)銚子(千葉県)出身本名は精一。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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