朝日日本歴史人物事典 「中島歌子」の解説
中島歌子
生年:弘化1(1844)
明治時代の歌人。武蔵国入間郡森戸村(埼玉県坂戸市)生まれ。幼名登世。15歳で水戸天狗党の林忠左衛門と結ばれる。元治1(1864)年の天狗党の乱で夫が戦死。歌子も捕らえられるが,その日も悠々と歌を詠む女丈夫だった。出獄後,加藤千浪に入門。明治10(1877)年ごろから東京小石川の安藤坂に歌塾萩の舎を開き,貴顕夫人,令嬢に和歌などを教えた。全盛期には門弟が1000人をこえ,そのなかに三宅花圃,樋口一葉がいた。25年以降は衰運にむかい,「すきかへす人こそなけれ敷嶋のうたのあらす田あれにあれしを」と,一葉の日記(明治27年2月25日)に評された。<参考文献>藤井公明『続樋口一葉研究―中島歌子のこと』
(吉川豊子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報