中村奇輔(読み)なかむらきすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村奇輔」の意味・わかりやすい解説

中村奇輔
なかむらきすけ
(1825―1876)

洋学者佐賀藩精錬方技術者京都の人で、広瀬元恭(げんきょう)の時習堂で蘭学(らんがく)を学び、1853年(嘉永6)、同門の田中久重(ひさしげ)、石黒寛次(かんじ)(1824―1886)とともに佐賀藩精錬方に招かれ、同藩の理化学や西欧技術の導入に尽くした。中村が蘭書の図説を見て考案、これに石黒がさらに考究し、田中が製作するという形で研究が進められたという。電信機をつくり、蒸気船・蒸気車の模型も製作するなど、理化学的研究に従事した。第1回の長崎海軍伝習に参加した。化学実験中、奇禍にあい、10余年を廃人同様の身で送った。

[菊池俊彦]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村奇輔」の解説

中村奇輔 なかむら-きすけ

1825-1876 幕末の技術者。
文政8年生まれ。京都の人。広瀬元恭(げんきょう)の私塾時習堂で蘭学をまなび,佐賀藩の精錬方となる。嘉永6年長崎入港のロシア艦上で蒸気機関車の模型を見学。安政2年蒸気船や蒸気機関車の模型をつくり,4年には電信機の製作に成功した。明治9年死去。52歳。

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