日本歴史地名大系 「中村庄・中村郷」の解説
中村庄・中村郷
なかむらのしよう・なかむらごう
中村川の流域、現
文治元年(一一八五)一〇月、弟の源義経を討伐しようと大軍を率いて鎌倉を出発した頼朝は、その夜「中村庄」に止宿した(「吾妻鏡」同年一〇月二九日条)。また同二年中村庄司宗平は三浦介義澄とともに、苦しんでいた農民を救うため相模国内の有力な百姓に一人一斗ずつの米を分ち与えるよう、頼朝から命令を受けている(同書同年六月一日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報