日本歴史地名大系 「中津河」の解説 中津河なかつがわ 鹿児島県:姶良郡牧園町中津河平安時代末期から中世にみえる地名。現牧園町下中津川・上中津川・高千穂(たかちほ)一帯に比定される。中津川とも記され、江戸時代には中津川村と上中津川村に分村。古代律令制下には桑原(くわはら)郡のうちにあったと推測され、「和名抄」諸本に同郡仲川(なかつがわ)郷について「国用仲津川三字」と注記があることから、その遺称地とみられる。保延元年(長承四年、一一三五)二月一日の宮永社役支配状(旧記雑録)に「同東郷」内の宮永(みやなが)名のうちに「中津河」がみえ、正八幡宮(現鹿児島神宮)の武内(たけうち)宮修理・遷宮時の菓子として分米一升九合などを負担しており、田数は一八町であった。 中津河なかつがわ 兵庫県:佐用郡三日月町中津河古代の佐用郡中川(なかつがわ)郷(和名抄)の郷名を継承する中世郷。中津川とも記す。志文(しぶみ)川を中津川とよぶことから、志文川流域で、東部の船曳(ふなびき)庄域を除いた地、現在の弦谷(つるだに)・末広(すえひろ)を中心とする一帯に比定される。現南光(なんこう)町土井(どい)・宝蔵寺(ほうぞうじ)以西をも含むかは未詳。年未詳の正月三〇日の赤松則村書状(離宮八幡宮文書、以下断りのない限り同文書)に「中津川方」とみえる。則村(円心)は貞和六年(一三五〇)一月一一日に死去しているので、この文書は同五年以前のものである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by