中瀬河岸(読み)なかぜがし

日本歴史地名大系 「中瀬河岸」の解説

中瀬河岸
なかぜがし

[現在地名]深谷市中瀬

江戸時代、利根川沿いの中瀬村にあった河岸場。「風土記稿」中瀬村の項に、利根川について「武蔵上野二国ノ境ヲ流ル、川幅二百間、川岸場ヲ設ケ、商船輻湊ノ地ナリ、爰ニテ烏川利根川乗船ノ人数ヲ改メ、通船スルヲモテ定メトセリ」と記される。「当代記」によると、慶長一二年(一六〇七)三月三日からの江戸城普請に際し、関東衆に高一万石あたり船五艘を貸預け、月に二往復栗石(火山石)を「上野国中瀬辺」より江戸まで運んだという。中瀬付近は良質の栗石の産地で、この栗石輸送を契機として中瀬河岸が発達したといわれる(深谷市史)。河岸は初め川岸かしにあり、のち向島ごうそに移され、江戸後期には船問屋・旅籠・飯茶屋・薬屋・湯屋・酒屋などが軒を連ねて町場の賑いを呈したという(八基村誌)。元禄三年(一六九〇)の関東八ヶ国所々御城米運賃改帳(千葉県伊能家文書)によると、江戸への里数三九里、運賃は米一〇〇石につき三分七厘(旧運賃四分、実質運賃五分)正徳二年(一七一二)には江戸城内の紅葉山もみじやま御殿新築に用いた秩父用材を中瀬から積出し、このとき河田家が船問屋として正式許可を受けた(「中瀬河岸場」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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