日本歴史地名大系 「中里宿」の解説
中里宿
なかさとしゆく
中里村に置かれた日光東往還の継立場。宿成立の時期は未詳であるが、享保一三年(一七二八)の将軍徳川吉宗の日光社参では中里村幕府領方名主七郎左衛門が同村旗本領名主ら三名とともに問屋役をするよう命じられている。七郎左衛門は居屋敷が宿の中ほどにあるので自分の敷地内に問屋場を置こうとしたところ、ほかの三名も問屋場を設け、また三名が通行大名から渡された祝儀金などを自分に隠していたなどとして訴訟に及んでいる(染谷家文書)。文政一〇年(一八二七)には当宿から道法三里の
中里宿
なかざとしゆく
江戸時代、平戸往還に置かれた宿駅。佐世保方面と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報