中野原村
なかのはるむら
[現在地名]伊万里市松浦町中野原
府招断層が南に延び、村内の丘陵地域の中央を通り、南境の黒岳(三六八メートル)より北流する黒尾岳川がこの線にかかり、流域に平地を形成する。上分・中通・金石原の集落が立地し、小字名に多羅古場・平古場・牛古場・狼ヶ鞍・砥谷・浦形などがある。
慶長絵図には「中野原 高二千六十八石六斗三升一合四勺」と記され、「中野原ノ内」と添書きされたものが小石原・市ノ原・平尾村・永谷村・六千寺・脇田村・立瀬村の七ヵ村である。
上分の剣木に石造塔婆群がある。その中の五輪塔は地輪に「為阿
」「天文七戌二月□□」と彫られ、室町時代後期の一五三八年建造。六地蔵石幢には「天文十一年二月時正日 阿
逆修善根也」と彫られ、幢身は二本継ぎが多いのに一本柱になっている。
中野原村
なかのはるむら
[現在地名]大野町中原 中原
矢田村の北東、田代川支流矢射渡川・堤田川流域の台地上にある。正保郷帳に村名がみえ、田高一二九石余・畑高一七五石余、一万田郷に属し、茅山有と注記される。旧高旧領取調帳では高三五三石余。安永七年(一七七八)には田代組に属し、同組大庄屋弁右衛門の役宅があった(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 