中館村(読み)なかだてむら

日本歴史地名大系 「中館村」の解説

中館村
なかだてむら

[現在地名]大内町中館

いも川の下流左岸にあり、東から流れる赤田あかた川との合流点に近い。芋川を隔てて北は岩谷町いわやまち村、西は深沢ふかさわ村、南は女岡によおか村、漆畑うるしはた(現本荘市)に接する。

慶長一七年(一六一二)の由利郡御検地帳(本荘市立図書館蔵)内越うてつ郷の一村として村名があり、本田高四千四八〇束刈、出田一千一四〇束刈、石高にして七八石六斗五升とある。最上検地は貢納高表示とされるから、半途物成として実際の生産高は一五七石余と考えられる。


中館村
なかだてむら

[現在地名]下館市中館

勤行ごんぎよう川右岸に位置し、北は折本おりもと村、北西いずみ村。天慶の乱のおり、下野押領使藤原秀郷が平将門追討の根拠地として、当地に中館を築いたといわれる(下館市史)。天永二年(一一一一)常陸介となった藤原実宗が当地に住むが(寛政重修諸家譜)、実宗四世の朝宗は次男宗村とともに奥州に移って伊達氏の祖となり、長男為宗が当地に残り、伊佐氏を名乗った(伊佐伊達氏系図)。南北朝動乱期には伊達行朝が伊佐いさ城を根拠にして南朝につき、高師冬率いる北朝軍に敗れる(「税所幹治軍忠状」税所文書)


中館村
なかだちむら

[現在地名]網野町字木津きつ

浜詰はまづめ村の東南にあたり、木津川流域の木津谷のほぼ中央に位置する。享保二年(一七一七)の御料所湊御代官御支配村々辻高に高三三七・二八石「木津庄 中館分」とみえ、これ以前は木津庄に含まれたと考えられる。

小字山中やまなか山頂に中館城跡があり、本丸堀切の跡が残る。信濃国松本まつもと(現長野県松本市)に住した松本信濃守正次がこの地に移り、応永元年(一三九四)に築城したという(「竹野郡誌」所引万松寺古記録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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