丸御厨(読み)まるのみくりや

日本歴史地名大系 「丸御厨」の解説

丸御厨
まるのみくりや

平治元年(一一五九)に源義朝が伊勢神宮へ寄進して成立。丸山川流域の現丸山町珠師しゆしやつ丸本郷まるほんごうを中心とした地域に比定される。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)九月一一日条に「安房国丸御厨」とみえ、当所は源頼義が東夷を平らげて「最初朝恩」の所領で、さらに頼義の曾孫の為朝から子息義朝に譲られた「最初之地」でもあり、平治元年六月に頼朝の昇進を祈念して伊勢神宮へ寄進され、成立したという。「保元物語」上(官軍勢汰へ并びに主上三条殿に行幸の事)には、義朝に従った軍勢の中に当地を支配した「丸太郎」の名がみえる。治承四年九月一一日、安房国に上陸した源頼朝は丸五郎信俊を案内として当御厨を巡見し、平家討伐の宿望を果したなら「当国中」に新御厨を立て、重ねて神宮へ寄進する由の自筆願書をしたためたという(吾妻鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の丸御厨の言及

【安房国】より

…房総半島の最南端で走水の海(浦賀水道)を隔てて相模国に対し,古くは安房・上総・下総のルートであったが,武蔵国が東海道に属すると逆に下総・上総から白浜・川上の駅をへて安房国府に至るルートが公式ルートとなり,《延喜式》の京への行程は上り34日,下り17日である。【吉村 武彦】
【中世】
 当国の荘園としては,内房に群房荘・多多良荘・長田保,外房に東条御厨・丸御厨(まろのみくりや)がある。平久里の山間部から南流して館山平野を経て館山湾にそそぐ平久里川流域にあった群房荘は新熊野神社領。…

※「丸御厨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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