久万町村
くままちむら
[現在地名]久万町久万町
三坂峠に発する久万川沿いに開けた街村。松山から七里の土佐道の宿場町、菅生山大宝寺の門前町、久万山の中心町として栄えた。
「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)の条に伊予国御家人「久万太郎」の名があり、「予陽河野家譜」の類に「久万山」の地名が出る。「予陽郡郷俚諺集」に、
<資料は省略されています>
と三坂峠の険路を越えて至る久万町の姿を写している。
松山藩は久万山代官を置いたが常住せず、ここには元締一名、手代四名がおり、大庄屋二名、改庄屋(大庄屋補佐)二名が用小屋に詰めていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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