20世紀日本人名事典 「久保田豊」の解説
久保田 豊
クボタ ユタカ
- 生年
- 明治23(1890)年4月27日
- 没年
- 昭和61(1986)年9月9日
- 出身地
- 熊本県阿蘇郡一の宮町
- 学歴〔年〕
- 東京大学工学部土木工学科〔大正3年〕卒業
- 主な受賞名〔年〕
- 朝鮮総督府文化賞〔昭和16年〕,朝日文化賞〔昭和17年〕,藍綬褒章〔昭和30年〕,カンボジア王国功労勲章〔昭和33年〕,ビルマ共和国鉱工業労働大臣賞〔昭和37年〕,ベトナム共和国金馨勲章〔昭和39年〕,勲二等瑞宝章〔昭和40年〕,ラオス国勲二等百万象勲章〔昭和40年〕,土木学会功績賞〔昭和45年〕,ラオス国総治徽章銀賞勲章〔昭和46年〕,ベトナム共和国勲一等公共事業運輸通信勲章〔昭和48年〕,勲一等瑞宝章〔昭和49年〕,ネパール王国勲二等ゴルカダツシンバフ章〔昭和57年〕,韓国産業金塔勲章〔昭和59年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和60年〕
- 経歴
- 大正3年内務省に入省。9年久保田工業事務所を設立。昭和15年朝鮮鴨緑江水力発電社長に就任。戦後、21年技術コンサルタント会社「日本工営」を設立して社長となる。東南アジア、アフリカ諸国の開発に参加し、日本の技術輸出の新しい類型を作り出した。39年海外コンサルティング企業協会を設立し、会長に。48年より日本工営会長。
久保田 豊
クボタ ユタカ
- 生年
- 明治37(1904)年10月4日
- 没年
- 昭和39(1964)年10月24日
- 出生地
- 静岡県田方郡韮山市(現・韮山町)
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学英法科〔昭和4年〕卒
- 経歴
- 東大時代新人会に参加。卒業後は田方農学校教諭となり、昭和6年共青静岡県準備委員会に参加して活躍する。6年検挙されたが起訴猶予となり、7年静岡34連隊に1年入営。9年満州へ渡り、ハルピン日日新聞記者となる。12年新京の協和会中央本部職員となり、17年から19年にかけて満州国東満総省雞寧県長を務める。戦後は在満日本人の引揚げに尽力し、21年帰国。22年韮山村長となり、28年社会党から5期連続代議士となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報