久地木之村(読み)くちきのむら

日本歴史地名大系 「久地木之村」の解説

久地木之村
くちきのむら

中世の郷村名で、三根みね郡のうち。建武三年(一三三六)二月九日の某所領注文写(島居文書)に「くちきとの さこのこのかうミ」とある。暦応三年(一三四〇)くちき」の弥五郎種時の相伝の「ひつきのこさいしよく」が安堵されている(同年一一月二二日「宗妙意書下」島雄文書)。同職は「こくかのひつきの御さいのそしやうしき」であった(同年一二月九日「ほうミやう書下」同文書)。貞治四年(一三六五)「くちきのたんところの下人」の高麗公事が「ミねのさた人等中」に差置かれた(同年七月三〇日「宗宗慶書下」与良郷宗家判物写)。応永六年(一三九九)「ミねの郡内さかくちきしたか村」の代官職が宗六郎に宛行われ(同年正月一一日「宗貞茂宛行状」三根郷給人等判物写)、同八年みね郡在庁地に属する「朽木」など六ヵ所が宗美濃彦六に給分として宛行われた(同年一一月一五日「宗貞茂充行状写」仁位郷判物写)。「さいちやう地」は旧郡司の三根在庁が所管した地で、三根在庁は阿比留氏であった。

応永一六年朽木村内の普光ふこう寺が退転して「無縁所」となっていたため、宗貞茂が寺地を寄進している(同年八月七日「宗貞茂寄進状写」三根郷給人等判物写など)。永享二年(一四三〇)以前地蔵(普光寺内とされる)に寄進された「くちきのむらの内むた三たん」が、地蔵の造営のために一〇貫文で売渡されたので、同年新たに寄進分とし、波多野六郎右衛門尉の知行とされている(同年三月六日「宗貞盛書下」仁位郷判物写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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