鎌倉時代の武将。知宗(ともむね)の子。右馬允(うまのじょう)。少弐(しょうに)氏被官として、対馬(つしま)守護代・地頭代を勤める。鎌倉中期、わが国と蒙古(もうこ)(元)との関係が切迫した際、幕府の命を受けて最前線の防備に努め、1274年(文永11)いわゆる文永(ぶんえい)の役には、蒙古軍の対馬上陸を佐須郷小茂田(さすごうこもた)浦(長崎県対馬市厳原町(いづはらまち))に迎え撃ち、また郎党を使者として急を大宰府(だざいふ)に伝え(蒙古襲来の第一報)、幕府方に通報、自らは一族・国人(こくじん)らとともに奮戦して現地で戦死した。島民は、戦場だった小茂田浦に祠(ほこら)を建て帥(かみ)大明神として祀(まつ)る。
[山口隼正]
(瀬野精一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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