日本歴史地名大系 「久多見村」の解説 久多見村くたみむら 島根県:平田市久多見村[現在地名]平田市久多見町東福(とうふく)村の北に位置し、北部の島根半島脊梁部の山地・丘陵地から、南方の平地にかけて展開する。村域は東西四町・南北二五町ほどで、南東流する久多見川(平田船川支流)の上・中流域を占める。東は野石谷(のしだに)村、西は水谷本庄(みずたにほんじよう)村。村のほぼ中央を久多見川沿いに東福村に通じる往還(幅一間五尺から二間二尺)が通るが、山地を越えて北西方の塩津(しおつ)浦に至る幅八尺、長さ一千二八〇間の道は、文久元年(一八六一)に当村庄屋森脇太蔵と塩津浦年寄宮脇平四郎らが発起し、両村民の協力によって開かれた(明治六年「地理取調書」県立図書館蔵)。農業のほか柴・薪・木実採取などの山間稼が盛んであった。古代の楯縫(たてぬい)郡玖潭(くたみ)郷の遺称地とされ、中世には久多見保として推移した。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳には神西(じんざい)本庄(現出雲市)などとともに第七番相撲を勤仕する「玖潭社 玖潭四郎」がみえる。面積は記載されていないが、計算上は一五町の定田からなっていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報