久慈村
くじむら
[現在地名]日立市久慈町一―六丁目・水木町一―二丁目・大みか町一―六丁目
久慈川・茂宮川両河口の北岸に位置。北西側は多賀山地丘陵南端縁をなし、東南へ海岸段丘面が広がる。西端を岩城相馬街道が通る。南は留村。海岸段丘面上および海岸台地上に割山遺跡・中丸台遺跡・釜坂遺跡・吹上遺跡・兵馬山遺跡・古坊地遺跡・曲松遺跡・金井戸遺跡および割山古墳群・狐山古墳など、縄文時代早期から古墳時代後期の遺跡がある。
寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「久慈村」と記され、「新編常陸国誌」によると明和元年(一七六四)の戸数三〇五・人口一千三九八とあり、「水府志料」によると村の東西一八町余・南北三〇町余、文化初めの戸数二六二とある。助郷は大沼・森山両駅勤めであった。
久慈村
くじむら
古志村の西に位置し、集落は瀬戸内の深い入江(久慈湾)に臨む。南に浜グリ崎、南西に久慈大浜の集落がある。西間切西方のうち。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、浜方に「あふねの崎」などがみえる。「大島私考」には西方一五ヵ村のうちとして「久慈村」とみえ、高一〇六石余、うち享保内検後の開地は五石余。文化三年(一八〇六)大島代官本田孫九郎が上申した一八ヵ条(大島要文集)によれば、西間切西方の久慈湊は二三反帆船を係留する居船場一九ヵ所の一つで、津口横目の船改が行われた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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