久松喜世子(読み)ヒサマツ キヨコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「久松喜世子」の解説

久松 喜世子
ヒサマツ キヨコ


職業
女優

本名
岩本 光

別名
前名=椿東 杉江(シュントウ スギエ)

生年月日
明治19年 4月10日

出生地
東京府 荏原郡品川新宿(東京都 品川区)

学歴
芝小卒

経歴
烏森の小学校を出たのち、小間使、芸者屋下地っ子、半玉と転々と職をかえたが、帝劇の案内ガールとなったのが女優へのきっかけ。大正4年舞台協会の「思い出」に端役の老婆で、椿東杉江の芸名初舞台。6年沢田正二郎新国劇創立とともに参加、沢田相手役として活躍した。昭和4年沢田没後は、若い島田正吾、辰巳柳太郎をはじめ女優をも育成し、また老後におよんでも舞台に出演し“新国劇の母”と呼ばれた。47年には86歳で当たり役「瞼の母」のおはまを演じ、長谷川伸賞を贈られた。

受賞
紫綬褒章〔昭和34年〕,勲四等宝冠章〔昭和41年〕 長谷川伸賞(第7回)〔昭和47年〕

没年月日
昭和52年 1月3日 (1977年)

伝記
ふり蛙―新国劇70年あれこれ 島田 正吾 著(発行元 朝日新聞社 ’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「久松喜世子」の解説

久松 喜世子
ヒサマツ キヨコ

大正・昭和期の女優



生年
明治19(1886)年4月10日

没年
昭和52(1977)年1月3日

出生地
東京府荏原郡品川新宿(現・東京都品川区)

本名
岩本 光

別名
前名=椿東 杉江(シュントウ スギエ)

学歴〔年〕
芝小卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和34年〕,勲四等宝冠章〔昭和41年〕,長谷川伸賞(第7回)〔昭和47年〕

経歴
烏森の小学校を出たのち、小間使、芸者屋の下地っ子、半玉と転々と職をかえたが、帝劇の案内ガールとなったのがきっかけで、女優になる。大正4年舞台協会の「思い出」に端役の老婆で、椿東杉江の芸名で初舞台。6年沢田正二郎の新国劇の創立とともに参加、沢田の相手役として活躍した。昭和4年沢田没後は、若い島田正吾、辰巳柳太郎をはじめ女優をも育成し、また老後におよんでも舞台に出演し“新国劇の母”と呼ばれた。47年には86歳で当たり役「瞼の母」のおはまを演じ、長谷川伸賞を贈られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久松喜世子」の解説

久松喜世子 ひさまつ-きよこ

1886-1977 大正-昭和時代の女優。
明治19年4月10日生まれ。大正4年舞台協会の本郷座公演で初舞台。芸名は椿東(しゅんとう)杉江。6年創立の新国劇にはいり,改名。沢田正二郎の相手役として活躍。島田正吾らをそだて,新国劇の母とよばれた。「瞼(まぶた)の母」のおはま役で昭和47年長谷川伸賞。昭和52年1月3日死去。90歳。東京出身。本名は岩本光。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「久松喜世子」の解説

久松 喜世子 (ひさまつ きよこ)

生年月日:1886年4月10日
大正時代;昭和時代の女優
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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