久留勝(読み)くるまさる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「久留勝」の意味・わかりやすい解説

久留勝
くるまさる
(1902―1970)

癌(がん)学者神経学者。明治35年11月28日三重県の医家の二男として生まれる。1926年(大正15)東京帝国大学卒業後、同大学外科学教室(塩田広重(ひろしげ)教授)に入り、1933年(昭和8)学位取得後、財団法人癌研究会附属康楽病院(現、公益財団法人がん研究会附属有明病院)に勤務。ドイツに留学し、帰国後、1941年金沢医科大学(現、金沢大学医学部)外科学教授。1954年(昭和29)大阪大学外科学教授を経て、1962年2月国立がんセンター(現、国立がん研究センター)病院長、1967年1月同センター総長となる。癌の研究としては、前癌状態についての研究と、癌の自己発育促進物質の研究に集中した。神経学者としては、癌患者の除痛のため神経に変性をおこさせ、死後その変性部位を追究することによって「知覚伝導路に関する研究」を行い、1949年学士院賞を受けた。昭和45年9月8日死去。

中川米造

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20世紀日本人名事典 「久留勝」の解説

久留 勝
クル マサル

昭和期の外科医学者



生年
明治35(1902)年11月28日

没年
昭和45(1970)年9月8日

出生地
三重県

別名
雅号=車猿,隣孤庵

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部〔大正15年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和8年〕

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞〔昭和24年〕

経歴
昭和6年欧米に留学、8年財団法人癌研究会付属康楽病院外科医長となった。16年金沢医科大学教授兼同大付属病院長。29年大阪大学教授兼同大付属癌研究施設長、37年国立がんセンター病院長、42年同総長となった。がんの研究と知覚伝導路の研究で知られ、著書に「いたみ」「夢録」「人体脊髄並びに脳幹に於ける知覚伝導路」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久留勝」の解説

久留勝 くる-まさる

1902-1970 昭和時代の外科学者。
明治35年11月28日生まれ。癌(がん)研究会付属病院外科医長,金沢医大,阪大の教授をへて昭和42年国立がんセンター総長となる。前がん状態やがん発育促進物質の研究者として知られ,24年痛温度感覚伝導に関する研究で学士院賞をうけた。昭和45年9月8日死去。67歳。三重県出身。東京帝大卒。

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