鳥取県中部,天神川下流域とその支流小鴨川の流域に広がる平野。北条平野,羽合(はわい)平野および倉吉盆地の総称。西方には大山(だいせん)火山が広大なすそ野を広げ,海岸に沿って北条砂丘,平野の東部に東郷池が位置する。平野の開発は古く,北栄町の旧北条町の島遺跡からは縄文前期~後期の遺物が多数出土し,湯梨浜町の旧羽合町橋津付近には馬山(うまのやま)古墳群を含む橋津古墳群(史)があり,東郷池周辺にも多くの古墳がみられる。羽合平野および倉吉市の国府(こう),小鴨付近には条里型地割が残存している。江戸末期までは飛砂の害や干害がひどかったため防砂林や砂丘井戸を設け,1850年(嘉永3)ころ江北(えぎた)用水を導き,砂丘地の灌漑を進めた。平野部は水田,北条砂丘はタバコ,ブドウなどの畑地として利用され,周辺の丘陵は二十世紀梨の産地となっている。
執筆者:豊島 吉則
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鳥取県中央部、天神川下流に開けた平野。東岸の羽合(はわい)平野と西岸の北条(ほうじょう)平野からなる。間氷期や後氷期の高海面期に形成された溺れ谷(おぼれだに)は、上流の花崗岩(かこうがん)、火山砕屑岩(さいせつがん)山地から流出した土砂に埋積され、県内でももっとも低平な平野を形成する。北縁は北条砂丘で縁どられ、東隅に埋め残しの潟湖(せきこ)東郷池がある。周辺の丘陵上に山陰最大級の前方後円墳馬ノ山4号墳を含む橋津古墳群(はしづこふんぐん)、砂丘に高浜(たかはま)遺跡(縄文、弥生(やよい))がある。圃場(ほじょう)整理前には広範囲に条里遺構があり、北条の地名を残す。羽合平野には鎌倉時代の松尾神社社領伯耆国河村郡東郷荘(ほうきのくにかわむらごおりとうごうのしょう)があり、1258年(正嘉2)の下地中分(したじちゅうぶん)の絵図が現存する。砂丘地はタバコ、北条ブドウ、ナガイモの産地、周辺山麓(さんろく)は二十世紀ナシの県内最大の産地。
[岩永 實]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 低地は砂丘,砂州,沖積平野からなる。海岸線に沿って大小さまざまの砂丘が分布しているが,とくに倉吉平野と鳥取平野の海岸部にある北条砂丘と鳥取砂丘は最も規模が大きく,内部に岩盤や大山ロームより古い古砂丘が伏在しているため,起伏に富んだ砂丘地形を形成している。弓ヶ浜は長さ17.5km,幅3~5km,日本最大の湾央砂州で,〈大天橋〉と称揚される。…
※「倉吉平野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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