乙子村(読み)おとごむら

日本歴史地名大系 「乙子村」の解説

乙子村
おとごむら

[現在地名]岡山市乙子

神崎かんざき村の西、吉井川下流左岸に位置し、牛窓うしまど往来が通る。南は幸島こうじま新田六ヵ村の一つ西幸西にしこうざい村、千町せんちよう川が南部で吉井川に合流する。かつては音湖の字をあてたという(吉備温故秘録)。寛永備前国絵図では高四三石余。「備陽記」によると田畑三〇町九反余、家数七八・人数五〇四、小猟船より二〇端帆までの船二三。文化年間の「岡山藩領手鑑」では直高二〇一石余、蔵入。


乙子村
おとこむら

[現在地名]益田市乙子町

比礼振ひれふり(三五八・八メートル)の北麓、津田つだ川上流水源に位置し、東は小原こばら(現美都町)、南は上久々茂かみくくも村、西は遠田とおだ村、北は大草おおくさ村。地名は分郷が最後に行われたことによるという(石見八重葎)。佐毘売命の神話で知られる。永和二年(一三七六)四月二二日の益田本郷御年貢并田数目録帳(益田家文書)に「乙子」「乙子分」などとみえる。江戸時代の支配の変遷は益田村と同じ。元和五年(一六一九)の古田領郷帳では高二七三石余、年貢は田方六七石余・畑方二六石余。正保四年(一六四七)の古田領郷帳では高二七三石余、免三ツ九分三朱。


乙子村
おとごむら

[現在地名]守谷町乙子

高野こうや村の東に所在。「北相馬郡志」によれば天慶年間(九三八―九四七)平将門が当地に隠窟を掘ったので乙口おとぐちと称し、天暦年間(九四七―九五七)乙子と改称したと伝えられる。「寛文朱印留」によれば堀田正俊(のち古河藩主)領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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