九竜半島 (きゅうりゅうはんとう)
Jiǔ lóng bàn dǎo
中国広東省の南部,珠江河口の東側にあり,海を隔てて香港島と対峙する。北部は沖積地が多く水田,畑,養魚池として利用され,南・東部は山がちで低地に乏しい。特に東部はリアス式海岸で,湾入と小島が多い。もと新安県に属したが,1860年(咸豊10)北京条約により半島の南端がイギリスに割譲され,1898年(光緒24)重ねて半島北部の深圳(しんせん)河以南の地域および付近の諸島がイギリスの強制租借地となった。面積985.8km2で香港特別行政区全体の約90%を占める。香港にとって重要な近郊農業地帯,給水地帯である。北部は深圳経済特区に隣接し工業化が進んでいる。1995年には北京と九竜とを結び,京広鉄道に次ぐ2番目の中国の南北をつなぐ幹線である京九鉄道が開通した。97年7月に租借地の期限切れとともに中国に返還され,香港特別行政区の一部となった。
執筆者:林 和生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
九竜半島
きゅうりゅうはんとう / チウロンパンタオ
中国大陸南部、1997年にイギリスから返還された香港(ホンコン)特別行政区の南へ延びる半島。カオルン半島ともいい、周辺の島とともに新界とよばれる。北は中国本土の深圳(しんせん/シェンチェン)経済特区(経済特別区)に接し、南はビクトリア港を隔てて香港島と対する。面積787平方キロメートル、香港全体の約80%を占める。南部の市街地九竜と周辺の都市化・工業化地域のほかは、香港の近郊農業地帯、保養地帯および貯水池の多い給水地帯となっている。
[横山昭市]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の九竜半島の言及
【広東[省]】より
…古くより広州を中心に対外貿易が盛んで,西欧諸国との接触ももっとも早かったが,1887年(光緒13)広東デルタ南西端の澳門(マカオ)がポルトガルの植民地となり,1842年(道光22)には香港島が,60年(咸豊10)には対岸の九竜がイギリスに割譲された。98年(光緒24)には九竜半島全域がイギリスの租借地となり現在に至る。98年にフランスが租借した広州湾は1946年に返還された。…
【租借地】より
…ドイツは1897年(光緒23)11月にドイツ人宣教師殺害事件を口実に青島を武力占領し,翌98年3月の条約で膠州湾を99ヵ年の期限つきで租借した。これに刺激されて同じ年にロシアは旅順,大連(各25ヵ年),三国干渉に加わらなかったイギリスもロシアとの勢力均衡を理由に威海衛(期限はロシアが旅順,大連を租借している間)と[九竜半島](99ヵ年),翌年フランスは広州湾(99ヵ年)をおのおの租借したのである。イタリアも三門湾の租借を要求したが成功しなかった。…
※「九竜半島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」