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亀井茲監 かめい これみ

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美術人名辞典の解説

亀井茲監

幕末期の津和野藩主。幼名は格助、号は勤斎。有馬頼徳の次男、亀井茲方養嗣子。藩内の武備に努め、また皇政復古に際し皇事に努めた。参与・神祇官権判事を経て、神祇官副知事となる。明治18年(1885)歿、62才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

亀井茲監 かめい-これみ

1825-1885 幕末-明治時代の大名。
文政8年10月5日生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)久留米藩主有馬頼徳(よりのり)の子。天保(てんぽう)10年亀井茲方(これかた)の養子となり,石見(いわみ)(島根県)津和野藩主亀井家11代。人事の刷新,洋式兵制の採用,海防の強化をはかるなど藩政の改革につとめた。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩とかかわりがふかく,七卿落ちなどを擁護した。明治18年3月23日死去。61歳。号は勤斎。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

亀井茲監

没年:明治18.3.23(1885)
生年:文政8.10.5(1825.11.14)
幕末の津和野藩(山口県)藩主。父は久留米藩(福岡県)藩主有馬頼徳。号は勤斎。天保10(1839)年津和野藩主亀井茲方の養子となり,襲封した。藩校養老館に,平田篤胤門下の国学者岡熊臣や大国隆正らを登用し,文教興隆に努めたほか兵制改革,殖産興業などを進めた。嘉永6(1853)年ペリー来航の際,江戸防備のため藩士を江戸に出している。安政1(1854)年,文久2(1862)年の両度,将軍に対し尊王・勤王の表明を求める意見書を提出するなど尊王論の立場をとり続け,久留米水天宮祠官真木和泉の釈放にも努めた。維新後は大国門下の藩士福羽美静らと共に神祇行政を担当した。<参考文献>加部厳夫編『於杼呂我中』

(長井純市)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

亀井茲監
かめいこれみ
(1824―1885)

江戸末期、石見(いわみ)国(島根県)津和野(つわの)藩主。号は勤齋(ごんさい)。久留米(くるめ)藩主有馬頼徳(ありまよりのり)の次男として生まれ、15歳で亀井茲方(これのり)の養嗣子(ようしし)となる。隠岐守(おきのかみ)と称する。藩内改革に努めるとともに、海防にも意を配り、小藩ながらも勤王運動に貢献。維新後は新政府の参与事務局判事となり、神祇(じんぎ)官の首脳として重きをなした。また薩長土肥(さっちょうどひ)に先だって廃藩を実施。明治18年3月23日没。養嗣子の茲明は父の勲功により子爵を賜る(のち伯爵)。[大原康男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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