朝日日本歴史人物事典 「亀井茲監」の解説
亀井茲監
生年:文政8.10.5(1825.11.14)
幕末の津和野藩(山口県)藩主。父は久留米藩(福岡県)藩主有馬頼徳。号は勤斎。天保10(1839)年津和野藩主亀井茲方の養子となり,襲封した。藩校養老館に,平田篤胤門下の国学者岡熊臣や大国隆正らを登用し,文教興隆に努めたほか兵制改革,殖産興業などを進めた。嘉永6(1853)年ペリー来航の際,江戸防備のため藩士を江戸に出している。安政1(1854)年,文久2(1862)年の両度,将軍に対し尊王・勤王の表明を求める意見書を提出するなど尊王論の立場をとり続け,久留米水天宮祠官真木和泉の釈放にも努めた。維新後は大国門下の藩士福羽美静らと共に神祇行政を担当した。<参考文献>加部厳夫編『於杼呂我中』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報