20世紀日本人名事典 「二反長音蔵」の解説
二反長 音蔵
ニタンオサ オトゾウ
- 生年
- 明治8年7月1日(1875年)
- 没年
- 昭和26(1951)年8月7日
- 出身地
- 大阪府福井村(現・茨木市)
- 旧姓(旧名)
- 川端
- 経歴
- 大阪府福井村(現・茨木市)の篤農家で、国家のためと信じ、台湾が日本の統治下となった翌年の明治29年内務省衛生局長だった後藤新平に、台湾の阿片中毒患者の治療に使うために阿片を国内産でまかなうよう進言。ケシ栽培の試験園に指定され、私財を投じて品種改良と普及に尽力。関西が阿片生産の中心地となり、“ナニワの阿片王”の異名をとる。戦況が悪化した中国にも出向いて指導にあたった。のち、日本軍の阿片政策は戦争犯罪だったとする考えが強まり、茨木市で阿片栽培と音蔵について実態調査が進められる。児童文学作家の二男・半が著わした伝記「戦争と日本阿片史 阿片王二反長音蔵の生涯」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報