日本歴史地名大系 「二条城跡」の解説
二条城跡
にじようじようあと
範囲はほぼ現在の
室町幕府の管領斯波義将の邸宅武衛陣の跡を接収拡張した将軍義輝の邸が永禄八年(一五六五)焼失したので、織田信長は将軍義昭のため焼跡に新第を造営した。工事は永禄一二年二月二日に着手し(日本西教史)、フロイスの「日本史」に
だがこの建築の際、きわめて驚くべきことは、彼が信じることができぬほどの短期間にそれを成就したことである。すなわち少なくとも二、三年はかかると思われたものを、彼はほとんどすべてを七十日間で完成した。とある。また通常二万五千人、少ない時でも一万五千人が働き、建築用石材には多数の石像も用いられ、堀は二重になっていて、外堀には三つの広大な入口が設けられたことなどが詳しく記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報