朝日日本歴史人物事典 「二条師基」の解説
二条師基
生年:正安3(1301)
南北朝時代初期の公家。父は二条兼基。母は源兼任の娘。正和1(1312)年従三位に叙せられ,同5年大納言。大納言在任中の建武2(1335)年,西園寺公宗の謀反を知った後醍醐天皇の命で兵を率い,勅使として後伏見法皇を持明院殿から京極殿に移した。建武3/延元1年には後醍醐天皇に離反した足利尊氏の兵と丹波大江山および洛中に戦うが,その様子は『太平記』に散見される。常に後醍醐天皇側にあり,南朝の中心的公家として左大臣を経て観応2/正平6(1351)年関白となる。のちに出家し,光明台院と号した。<参考文献>佐藤進一『南北朝の動乱』(中央公論社版『日本の歴史』9巻)
(湯川敏治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報