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二条院 にじょういん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条院 にじょういん

1027*-1105 平安時代中期,後冷泉(ごれいぜい)天皇の中宮(ちゅうぐう)。
万寿3年12月9日生まれ。後一条天皇の第1皇女。母は藤原道長の娘威子(いし)。万寿4年内親王,長暦(ちょうりゃく)元年皇太子親仁(ちかひと)親王(のちの後冷泉天皇)の妃,寛徳2年女御(にょうご),永承元年中宮。治暦(じりゃく)4年皇太后,翌年出家,太皇太后。承保(じょうほう)元年院号をうける。長治(ちょうじ)2年9月17日死去。80歳。名は章子。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

二条院

没年:長治2.9.17(1105.10.26)
生年:万寿3.12.9(1027.1.19)
平安中期の女院。後一条天皇と藤原道長の娘威子の皇女。名は章子。2歳で内親王となり,5歳で着袴と同時に一品,准三宮となる。一時は敦良親王(後朱雀)との結婚も考えられたが,長暦1(1037)年に東宮親仁親王(後冷泉)の妃となった。夫の即位とともに女御,永承1(1046)年中宮となる。治暦4(1068)年皇太后,翌年太皇太后。承保1(1074)年院号宣下。天皇の母ではない女院の初例である。また皇女は通常不婚で通すが,この時期,二条院のような天皇家内の結婚が多く,政治史のうえで注目される。

(中込律子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の二条院の言及

【女院】より

…ただ以上の3例はいずれも天皇の生母で,后位にあるのを共通とする。ついで第4例の章子内親王が1074年(承保1)6月二条院の院号を授けられたときは,白河天皇の女御藤原賢子の立后を行おうとしたが,当時後宮には皇后,中宮,皇太后,太皇太后がいて后位に空席がなかったため,それぞれ后位の転上を行い,太皇太后の章子内親王が后位を退いて女院号を授けられたのである。かくして女院は後宮における地位の一つとみなされることになったが,二条院は天皇の生母ではなかったのが注意される。…

※「二条院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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