朝鮮,高麗の政治家,儒学者。現存する朝鮮最古の史書《三国史記》の編者として知られる。粛宗(1095-1105)のとき,科挙に合格し,仁宗代(1122-46)に宰相となった。1126年に起きた李資謙の乱後,妙清ら西京人は風水地理説に基づいて西京遷都論を唱え,また,女真人が建てた金への侵略を主張したが,これを事大主義の立場から徹底的に批判・攻撃したのが金富軾であった。妙清一派はついに西京で反乱を起こしたが(妙清(みようせい)の乱),これも彼の指揮する官軍によって鎮圧された。金富軾は儒学の正統的な解釈に基づいて中国中心主義・事大主義の立場をとり,また,慶州の名門出身であることから歴史的には新羅を重視する立場をとった。《三国史記》には,彼のこのような立場が反映されている。
執筆者:浜中 昇
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朝鮮、高麗(こうらい)、仁宗(じんそう)(在位1122~46)朝の宰臣。号は雷川(らいせん)、諡(おくりな)は文烈(ぶんれつ)。慶州の人。粛宗(しゅくそう)(在位1095~1105)代に科挙に合格し、睿宗(えいそう)(在位1105~23)・仁宗代に礼部郎中、中書舎人、礼部侍郎、戸部尚書、翰林(かんりん)学士承旨、判兵部事と累進。1135年妖僧(ようそう)妙清(みょうせい)が西京で乱を起こすと元帥となって鎮圧し、功によって門下侍中となる。42年に68歳で官を退いた。王命により『三国史記』を編修し、また睿宗、仁宗の実録を編修。『高麗史』巻98に伝があり、文集は伝わらないが、その詩文は『東文選』などによって知られる。
[田中俊明]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…朝鮮古代の新羅,高句麗,百済3国に関する歴史書。1145年に金富軾らが編纂した官撰書。全50巻で,新羅本紀(1~12),高句麗本紀(13~22),百済本紀(23~28),年表(29~31),雑志(32~40),列伝(41~50)よりなる。…
…仁宗はこれに動かされて西京に巡幸し,廷臣のなかにも妙清支持者がふえた。これに対して金富軾(きんふしよく)らは遷都に強く反対し妙清を妖人として排撃した。この状況を見て妙清は1135年西京で反乱を起こし,国を大為と称し,天開と建元したため,仁宗は金富軾に命じて討伐させた。…
※「金富軾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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