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金富軾 きんふしょくKim Pusik

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金富軾
きんふしょく
Kim Pusik

[生]文宗29(1075)
[没]毅宗5(1151)
朝鮮,高麗の政治家,学者。慶州の人。高麗の第 15代粛宗のとき文科に及第,粛宗,仁宗に仕えて大功を立てた。仁宗の初年,妖僧妙清が図讖説で国王をそそのかして遷都をはかったが,彼は強く反対してその企てを阻止し,さらに妙清が西京 (平壌) で反乱を起したとき王命を受け鎮圧した (→妙清の乱 ) 。また使節として宋におもむき外交面でも功績をあげたが,彼の名を後世に残しているのは退官後,現存する最古の体系的史書三国史記』を撰進したことにある。

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世界大百科事典 第2版の解説

きんふしょく【金富軾 Kim Pu‐sik】

1075‐1151
朝鮮,高麗の政治家,儒学者。現存する朝鮮最古の史書《三国史記》の編者として知られる。粛宗(1095‐1105)のとき,科挙に合格し,仁宗代(1122‐46)に宰相となった。1126年に起きた李資謙の乱後,妙清ら西京人は風水地理説に基づいて西京遷都論を唱え,また,女真人が建てた金への侵略を主張したが,これを事大主義の立場から徹底的に批判・攻撃したのが金富軾であった。妙清一派はついに西京で反乱を起こしたが(妙清(みようせい)の乱),これも彼の指揮する官軍によって鎮圧された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金富軾
きんふしょく
(1075―1151)

朝鮮、高麗(こうらい)、仁宗(じんそう)(在位1122~46)朝の宰臣。号は雷川(らいせん)、諡(おくりな)は文烈(ぶんれつ)。慶州の人。粛宗(しゅくそう)(在位1095~1105)代に科挙に合格し、睿宗(えいそう)(在位1105~23)・仁宗代に礼部郎中、中書舎人、礼部侍郎、戸部尚書、翰林(かんりん)学士承旨、判兵部事と累進。1135年妖僧(ようそう)妙清(みょうせい)が西京で乱を起こすと元帥となって鎮圧し、功によって門下侍中となる。42年に68歳で官を退いた。王命により『三国史記』を編修し、また睿宗、仁宗の実録を編修。『高麗史』巻98に伝があり、文集は伝わらないが、その詩文は『東文選』などによって知られる。[田中俊明]

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世界大百科事典内の金富軾の言及

【三国史記】より

…朝鮮古代の新羅,高句麗,百済3国に関する歴史書。1145年に金富軾らが編纂した官撰書。全50巻で,新羅本紀(1~12),高句麗本紀(13~22),百済本紀(23~28),年表(29~31),雑志(32~40),列伝(41~50)よりなる。…

【妙清】より

…仁宗はこれに動かされて西京に巡幸し,廷臣のなかにも妙清支持者がふえた。これに対して金富軾(きんふしよく)らは遷都に強く反対し妙清を妖人として排撃した。この状況を見て妙清は1135年西京で反乱を起こし,国を大為と称し,天開と建元したため,仁宗は金富軾に命じて討伐させた。…

※「金富軾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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