五十里本郷村(読み)いかりほんごうむら

日本歴史地名大系 「五十里本郷村」の解説

五十里本郷村
いかりほんごうむら

[現在地名]佐和田町沢根五十里さわねいかり

西は田中たなか村、北は西五十里にしいかり村・東五十里村、東は五十里炭屋いかりすみや町。中世以前は五十里郷の中心であった。天文年間(一五三二―五五)にこの地域一帯に銀山が開けると、郷内の戸数が増加し村々が自立していったと思われる。元禄七年(一六九四)検地帳(沢根五十里区有)にのる字平城ひらじよう荒町あらまち川右岸の段丘上にあり、本間平城家の屋敷がある。屋敷の周りに堀がめぐり、土手も一部についていた。同家は五十里郷の村殿で、西五十里村金北山きんぽくさん権現(現金北山神社)の鍵取をしている。同社の祭礼では今も神輿が平城家に立寄る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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