五平村(読み)ごへいむら

日本歴史地名大系 「五平村」の解説

五平村
ごへいむら

[現在地名]藤枝市大西町だいせいちよう一―三丁目・大洲おおす二丁目・善左衛門ぜんざえもん一―二丁目・青南町せいなんちよう二―三丁目・同五丁目・五平

久兵衛市右衛門請きゆうべいいちうえもんうけ新田の南に位置し、大井川下流左岸の扇状地に立地する。志太しだ郡に属し、南は遠江国榛原はいばら郡善左衛門新田、西は同郡源助げんすけ村。殿との(現岡部町)の朝比奈氏の分家が当地に移り住んで開発したという(駿河記)。寛永一二年(一六三五)の山西領水野監物知行渡村之帳に五兵衛新田とみえ、高四九石余、田中藩領。


五平村
ごへいむら

[現在地名]内原町五平、西茨城郡友部町五平

水戸より真壁まかべ(現真壁郡真壁町)へ通ずる真壁街道に沿って位置し、東は鯉淵こいぶち村。村内には万蔵寺まんぞうじ犬塚いぬつか下遠田げどおだ内郷うちごう飯田いいだ(友部町)の小名を有し、安政五年(一八五八)の鯉淵村絵図(菊池文書)によると下遠田・内郷・飯田を「五平村」、他を「万蔵寺村」「犬塚村」とする。元治元年(一八六四)の高野村留書(村沢文書)にも同様の記載がみられ、近隣ではこのほうが一般的であったと思われる。

蔵田千軒くらたせんげん」の伝説があり、「往昔鯉淵村ノ一部落ナリシカ中世分レテ独立セリ」(茨城県町村沿革誌)と伝えられるが不詳。寛永二一年(一六四四)の御知行割郷帳に「五平村」とみえ、天和三年(一六八三)の割附状(江幡文書)には新田を合せて石高五〇四石余、反別八二町余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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