井上れつ(読み)イノウエ レツ

20世紀日本人名事典 「井上れつ」の解説

井上 れつ
イノウエ レツ

明治〜昭和期の教育者,婦人運動家 矯風会会長。



生年
慶応1年10月6日(1865年)

没年
昭和18(1943)年8月10日

出生地
下野国塩谷郡壬生村(栃木県塩谷町)

旧姓(旧名)
玉生

学歴〔年〕
共立女学校

経歴
下野国塩谷郡の地主の家に生まれる。幼い時から横浜の医療宣教師ヘボンの許で英語を習い、のちには日常会話や手紙執筆を英語で行えるまでに上達した。明治12年宣教師ミラーから洗礼を受け、キリスト教徒となる。横浜の共立女学校を卒業後は明治女学校教壇に立ち、20年には医師の井上豊作と結婚。同年静岡病院院長になった夫に従って同地に移り住み、開校したばかりの静岡女学校で通訳を務めた。また、同校の財政面での支えにもなり、学園の発展に大きく貢献した。一方で静岡県初の婦人会を発足させ、矯風会会長も務めるなど、婦人会活動でも活躍。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上れつ」の解説

井上れつ いのうえ-れつ

1865-1943 明治-昭和時代前期の教育者。
慶応元年10月6日生まれ。横浜でJ.C.ヘボンに英語をまなぶ。明治12年受洗。20年静岡病院長となった夫井上豊作とともに静岡にうつる。静岡女学校(現静岡英和女学院高)の経営や教育を援助。県下初の婦人会を創設し,矯風会会長をつとめた。昭和18年8月10日死去。79歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。共立女学校(現横浜共立学園)卒。旧姓は玉生(たまにゅう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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