井上晴丸(読み)イノウエ ハルマル

20世紀日本人名事典 「井上晴丸」の解説

井上 晴丸
イノウエ ハルマル

昭和期の農業経済学者 立命館大学教授。



生年
明治41(1908)年10月7日

没年
昭和48(1973)年10月5日

出生地
兵庫県神戸市

別名
筆名=立田 信夫

学歴〔年〕
東京帝国大学農学部農業経済学科〔昭和9年〕卒

学位〔年〕
経済学博士

経歴
昭和9年農林省に入り、経済更生部産業組合課嘱託のかたわら、立田信夫のペンネームで講座派の「経済評論」誌に協同組合論などを発表、12年「日本産業組合論」を刊行。13年に中国出張、14年から興亜院技師、18年に帰国、農林省米穀利用研究所技師。戦後の21年農政局経営課長となり、農地改革を推進。23年「農業問題入門」を出版。24年レッドパージ第1号で農林省を追われ、以後10年間は東畑精一会長の農業発達史調査会メンバーとして「日本農業発達史」(全10巻・別巻2)の編集、執筆に従事。34年に立命館大学経済学部教授、38年経済学部長、41年人文科学研究所長。一方、絵や俳句をよくした。「井上晴丸著作選集」(全7巻 雄渾社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上晴丸」の解説

井上晴丸 いのうえ-はるまる

1908-1973 昭和時代の経済学者。
明治41年10月7日生まれ。農林省にはいり,立田信夫の筆名で講座派マルクス主義の立場から協同組合論などを展開。昭和21年農地改革をすすめるが,24年レッドパージとなる。34年立命館大教授。昭和48年10月5日死去。64歳。兵庫県出身。東京帝大卒。著作に共著危機における日本資本主義構造」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「井上晴丸」の解説

井上 晴丸 (いのうえ はるまる)

生年月日:1908年10月7日
昭和時代の経済学者。立命館大学教授
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android