井上頼豊(読み)イノウエ ヨリトヨ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「井上頼豊」の解説

井上 頼豊
イノウエ ヨリトヨ


職業
チェロ奏者

肩書
桐朋学園大学名誉教授

生年月日
大正1年 11月19日

出生地
東京

学歴
東京音楽学校〔昭和7年〕中退

経歴
昭和4年から伊達三郎、斉藤秀雄にチェロを学び、9年新交響楽団に入りローゼンストック師事、18年まで在籍。その間、フィルハーモニー弦楽四重奏団を組織、17年に第1回リサイタル。18年応召、ソ連に抑留され23年帰国。同年東京フィルハーモニー交響楽団に入団。27年から桐朋学園で教鞭をとり、門下から多数の逸材を育てる。36年カザルスのレッスンを受ける。49年から第5・6・7・8回チャイコフスキー国際音楽コンクール・チェロ部門審査員。ロシア・ソ連音楽に関する著作もあり、日ソ協会副会長も務めた。独奏家、室内楽演奏者として活躍。関鑑子の後をうけ音楽センター・うたごえの責任者。

所属団体
日本弦楽指導者協会(顧問)

没年月日
平成8年 11月18日 (1996年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「井上頼豊」の解説

井上 頼豊
イノウエ ヨリトヨ

昭和・平成期のチェロ奏者 桐朋学園大学名誉教授。



生年
大正1(1912)年11月19日

没年
平成8(1996)年11月18日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京音楽学校〔昭和7年〕中退

経歴
昭和4年から伊達三郎、斎藤秀雄にチェロを学び、9年新交響楽団に入りローゼンストックに師事、18年まで在籍。その間、フィルハーモニー弦楽四重奏団を組織、17年に第1回リサイタル。18年応召、ソ連に抑留され23年帰国。同年東京フィルハーモニー交響楽団に入団。27年から桐朋学園で教鞭をとり、門下から多数の逸材を育てる。36年カザルスのレッスンを受ける。49年から第5・6・7・8回チャイコフスキー国際音楽コンクール・チェロ部門審査員。ロシア・ソ連音楽に関する著作もあり、日ソ協会副会長も務めた。独奏家、室内楽演奏者として活躍。関鑑子の後をうけ音楽センター・うたごえの責任者を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上頼豊」の解説

井上頼豊 いのうえ-よりとよ

1912-1996 昭和-平成時代のチェロ奏者。
大正元年11月19日生まれ。伊達三郎,斎藤秀雄にまなび,昭和9年新交響楽団(現N響)でローゼンストックに師事。フィルハーモニー弦楽四重奏団を組織。戦後,東京フィルハーモニー交響楽団員をへて,室内楽,独奏で活躍。48年桐朋学園大教授。平成8年11月18日死去。83歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)中退。著作に「ショスタコーヴィチ」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「井上頼豊」の解説

井上 頼豊 (いのうえ よりとよ)

生年月日:1912年11月19日
昭和時代;平成時代のチェリスト
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の井上頼豊の言及

【プロレタリア音楽】より

…音楽家同盟は31年以降の日本プロレタリア文化連盟(略称〈コップ〉)の時代にも,その加盟団体として活動を続け,33年には日本プロレタリア音楽同盟と改称している。構成員としては,作曲家守田正義,露木次男,原太郎,吉田隆子,石井五郎らのほか,演奏家の関鑑子(あきこ),井上頼豊,福田上一らが加わり,合唱曲や歌曲の創作と労働者階級の音楽創造を目標にさまざまな活動を試みた。守田の《里子にやられたおけい》《小さな同志》,吉田隆子《鍬》《兵士を送る》,原太郎《芝浦》などの反戦歌,闘争歌などが生み出された。…

※「井上頼豊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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