井原郷
いはらごう
「和名抄」所載の郷。同書東急本にはみえない。訓は「為波良」。平城宮跡出土木簡に「(表)氷上郡井原郷上里赤搗米五斗」「(裏)上五戸語部身」とあり、長岡京跡出土木簡に「丹波国氷上郡□原郷米五斗□米」とみえ、前者の木簡に郷・里名の記載のあることから、郷名が天平一二年(七四〇)にさかのぼることと、語部の分布していたことがわかる。「延喜式」には大嘗祭に丹波の語部が参列したとある。
井原郷
いわらごう
「和名抄」諸本に訓はない。同書の丹波国氷上郡井原郷に「為波良」、讃岐国香河郡井原郷に「為乃波良」「井乃波良」の訓があり、「イノハラ」と読むとも考えられる。なお、文明一四年(一四八二)八月一〇日の檀那村付帳(肥塚家文書)ほかに「井原」「いわら」とみえる。
井原郷
いのはらごう
「和名抄」高山寺本は「為乃波良」、東急本は「井乃波良」と訓を付す。中世には井原庄が成立する。近世に成立した冠尾八幡宮由緒(香川叢書)に、井原庄は由佐郷・安原三ヵ山からなるとあり、現香川町塩江町から香川町川東地区・香南町由佐地区を含む香東川上流域から中流域一帯に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 