井草郷(読み)いぐさごう

日本歴史地名大系 「井草郷」の解説

井草郷
いぐさごう

越辺おつぺ川の左岸、現川島町伊草いぐさ・上伊草・下伊草を遺称地とし、一帯に比定される。伊草郷とも記し、井草村ともいった。河越から松山(現東松山市)を経て上州方面へ向かう要路にあたり、戦国期には郷内に宿が成立し、市立ても行われていた。「報恩寺年譜」によると応安元年(一三六八)七月、越生兵庫助は本知行分である比企郡「土袋郷内井草村」などを報恩ほうおん(現越生町法恩寺)に寄進している。なお土袋つちふくろ郷については、「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)二月二一日条に「武蔵国土袋郷」とみえ、北条時政は同郷の年貢を鎌倉永福ようふく寺の供僧料に充てる旨を命じている。また土袋の地名近世にも土袋庄として残っていた(風土記稿)。文明一〇年(一四七八)七月上旬太田道灌は「河越立、井草与申所着陣」している(同一二年一一月二八日「太田道灌書状写」松平文庫所蔵文書)

小田原衆所領役帳には、江戸衆の大道寺弥三郎の所領として「卅七貫文 入西郡井草之内」がみえ、大普請時は「本途ニ半役可加」地であった。その後、当郷は岩付太田氏の支配下に入る。永禄六年(一五六三)と推定される閏一二月五日の恒岡資宗・佐枝信宗連署状写(武州文書)によると「井草之郷水そん之地ニ御座候」ため、牛村助十郎に堤防の構築が命じられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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