仁保庄(読み)にほのしよう

日本歴史地名大系 「仁保庄」の解説

仁保庄
にほのしよう

現山口市の東北部、仁保川の流域一帯を荘域とする。白河天皇が承暦元年(一〇七七)に創建した法勝ほつしよう(跡地は現京都市左京区)荘園で、領家職は日野家が有していた(三浦家文書)。開発年代は不明であるが、古く皇室領であったものを、法勝寺創建により寺領として寄進されたものかといわれる。

建久八年(一一九七)二月源頼朝は下文をもって、平子重経を仁保庄および近くの恒富つねとみ保の地頭に任じた(三浦家文書)。重経は相模の三浦氏の一族で、平子を称し、子孫もそれを継いだが、地名により仁保氏をも称し、後年は三浦に改めている。

貞応二年(一二二三)五月に重経は三男重資に仁保庄地頭職を譲り、幕府は翌年次のような下知状案(三浦家文書)をもってこれを安堵している。

<資料は省略されています>

なお三男が譲り渡されたのは重経の長男重直が早逝したためで、重直の息重綱には貞応三年一一月に仁保庄内深野ふかの郷の地が譲与された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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