日本歴史地名大系 「仁正寺村」の解説 仁正寺村にしようじむら 滋賀県:蒲生郡日野町仁正寺村[現在地名]日野町西大路(にしおおじ)小井口(おいぐち)村の東北、日野村井(ひのむらい)町の東に位置し、南を日野川が、北部の水田地域を同川支流出雲(いずも)川がそれぞれ西流する。北部の中甲津(なかこうづ)遺跡では試掘により中世の掘立柱建物跡七棟・柵跡九条などを検出。古くは二庄地・人初地・日精進・二勝地などとも記した。地名は古代条里の二条の地にあたることに由来するとされ、条里の遺称とされる字七(しち)ノ坪(つぼ)がある。なお地名由来については、かつて西大路氏なる者が当地に住していたことにちなむとか(蒲生旧趾考)、仁正寺と号する寺があったことによるとする説もある(西大路由来記)。また「蒲生旧趾考」に「奥野・中野・野村・日野、是を朝日里と称す」とあり、当地を中心とする一帯を朝日(あさひ)郷・旭山(あさひやま)郷とも称したといい、天文一五年(一五四六)の刻銘を有する信楽焼献上茶壺(森藤吉蔵)に「江州旭郷」とある。これは綿向(わたむき)山が朝日山とよばれたことから起こったとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報