日本歴史地名大系 「仁連村」の解説
仁連村
にれむら
[現在地名]三和町仁連
天文期(一五三二―五五)には
<資料は省略されています>
とあり、給人田代亀房丸の存在が知られ、また天文二二年の梅千代王丸足利義氏印判状写(秋田藩採集文書)に「幸嶋荘閏年郷役之事、若林・仁礼両郷被相除不可有相違之状如件」とみえる。同二三年に小山朝政が古河公方麾下の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天文期(一五三二―五五)には
とあり、給人田代亀房丸の存在が知られ、また天文二二年の梅千代王丸足利義氏印判状写(秋田藩採集文書)に「幸嶋荘閏年郷役之事、若林・仁礼両郷被相除不可有相違之状如件」とみえる。同二三年に小山朝政が古河公方麾下の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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