仁連村(読み)にれむら

日本歴史地名大系 「仁連村」の解説

仁連村
にれむら

[現在地名]三和町仁連

諸川もろかわ村の南に所在。東は飯沼新田いいぬましんでん、西は長井戸ながいど(現在は水田)。これらの間に台地南北に続く。江戸時代には日光東街道の継立場として、仁連宿・仁連町ともいわれた。西にしのうせんやま遺跡弥生古墳時代の遺跡で、大型住居跡二、小型住居跡三がある。飯沼西岸台地の八幡塚はちまんつか古墳は円墳で、径二〇メートル・高さ五メートル。付近から土師器石鏃が採集されている。

天文期(一五三二―五五)には仁礼にれ郷と称し、若林わかはやし(現境町)とともに古河公方の領地で、年未詳の足利晴氏安堵状写(秋田藩採集文書)

<資料は省略されています>

とあり、給人田代亀房丸の存在が知られ、また天文二二年の梅千代王丸足利義氏印判状写(秋田藩採集文書)に「幸嶋荘閏年郷役之事、若林・仁礼両郷被相除不可有相違之状如件」とみえる。同二三年に小山朝政が古河公方麾下の柳橋やぎはし(現総和町)を攻めたことについて「東国闘戦見聞私記」には「柳橋城主豊前守は仁連、諸川、(中略)の兵九百余人を城に籠らしめけり」とあるが、仁連では鈴木隼人・関根内匠守が有力者であったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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