日本歴史地名大系 「今井庄」の解説 今井庄いまいのしよう 奈良県:五條市今井村今井庄もと栄山(えいさん)寺領と考えられる(→栄山寺領)。その後、寿永二年(一一八三)の興福寺政所下文(内閣文庫蔵)に「厳範領弁公 今井庄宇智郡九町三段八十歩」とみえる。これによると、今井庄は興福寺領荘園であるが、栄山寺が興福寺の末寺化したことによるものか(→阿庄)。厳範は給主と考えられる。栄山寺の得分もあったものであろう。当庄の所在は荘号からみると、現今井町に比定される。正平一三年(一三五八)の僧頼俊水田作主職売券(栄山寺文書)では、作主職売却の対象としての水田一段の所在について「在大和国宇智郡今井庄之内栄山寺領字ハウノ木、弓田」とあるが、これによると、今井庄内には栄山寺領が存在していたことがうかがわれる。 今井庄いまいのしよう 奈良県:北葛城郡新庄町南花内村今井庄興福寺灯油免田。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の忍海(おしみ)郡に「今井庄田畠十八町、灯油免田也」とある。灯油免田の条里(括弧内は坪数)は、二九条三里(五)・四里(一)、三〇条四里(五)・五里(一一)である。この条里によると、今井庄は散在的であり、その所在は大字新町(しんまち)を中心とするが、笛堂(ふえどう)南部にも及んでいる。延久以後については、寿永二年(一一八三)の興福寺政所下文(興福寺文書)に「光永領但馬公、今井庄八町、忍海郡」とあり、興福寺領であり興福寺僧光永が給主(預所)となっていることがうかがえる。 今井庄いまいのしよう 奈良県:橿原市八木・今井地区今井村今井庄興福寺一乗院領荘園。至徳三年(一三八六)の一乗院良昭維摩会講師段銭帳(一乗院文書)に「今井庄七町三段」とあり、越智郷段銭算用状(春日神社文書)にも同様に記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by