今成村
いまなりむら
[現在地名]宇佐市今成
伊呂波川を挟んで末村の西、同川中流域の段丘上にある。西は山地を隔てて赤尾村、南は木内村。中世には高家郷横山浦の内で、同浦今成名の遺称地。応永一六年(一四〇九)大内氏は宇佐宮若宮御前検校賢永に対し同若宮長日経免「横山浦今成名内成弘田地等」を安堵している(同年六月一〇日「賢永申状写」真乗坊文書)。同様のことを記す同年八月九日の大内家老臣連署奉書(宮成文書)には「今□内成弘田地、今者号井尻」とみえるが、この井尻は現在の字井ノ尻とみられる。
今成村
いまなりむら
[現在地名]川越市今成
野田村・小室村の北、小久保村の西に位置する。天文八年(一五三九)二月三日の北条氏綱判物写(諸州古文書)に「河越三十三郷之内今成之郷」とみえ、小田原北条氏の直轄地であった今成郷の代官に宇野藤右衛門尉(定治)を任じている。小田原衆所領役帳には御馬廻衆の宇野源十郎の所領として「弐百貫四百六拾五文 河越今成」とみえる。この高のうち九一貫四〇〇文は弘治元年(一五五五)の検地での打出であった。
今成村
いまなりむら
[現在地名]越知町今成
仁淀川を隔てて柴尾村の西にある平地の村。「土佐州郡志」に「在柴尾村西、東西六町余南北九町余、其地石土」とみえ、仁淀川の屈曲部に形成されたいわゆる「今成河原」に立地。越知村から仁淀川を渡った松山街道が、当村を経て横畠村に入る。
中世は黒岩城(現佐川町)城主片岡氏の所領で、天正一八年(一五九〇)の高岡郡黒岩村地検帳に村名がみえ、地積一二町六反余で片岡分が主であるが、若干佐川郷(現佐川町)の佐川氏分・中村氏分が混在、ちなみに古老は佐川地という。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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