日本歴史地名大系 「今木庄」の解説 今木庄いまきのしよう 奈良県:奈良市都南地区古市村今木庄寛弘九年(一〇一二)と考えられる今木庄坪付(東大寺文書)に<資料は省略されています>とある。これによると、今木庄は添上郡東七条二里(四)・三里(二七)内にあり(括弧内は坪数)、面積は一六町八段である。そのうちには公田が一一筆もみられるので、一応、同庄は雑役免田であったとも推測されるが未詳。その所在は条里からみると、現古市町辺りに比定され、現在小字今木(南・中・西・北)がある。領主は未詳。文書所有などから推測すると東大寺領と考えられるが、寛弘九年の大僧正雅慶下文案(東大寺文書)などからみると、雅慶所領とも考えられる。 今木庄いまきのしよう 奈良県:御所市今木庄延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の葛上郡に「今木庄田畠廿二町五段百廿歩 不輸免田廿町三段 公田畠二町二段小」とある。興福寺雑役免田であり、また春日社神供料所でもあった。不輸免田の内訳と条里(括弧内は坪数)は、春日御社御幣田二〇町が三二条三里(一)、三三条三里(二)・五里(四)・七里(一)、三九条三里(二)・二里(二)、四〇条一里(二)・二里(七)・三里(三)、三一条一里(四)・二里(一八)、四二条二里(一)・一(史料どおり)里(一)・二(史料どおり)里(五)・三里(一)、三(史料どおり)一条二里(七)、四三条三里(一)、巨勢西条四里(三)、神地田三段が三三条五里(一)である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by