日本歴史地名大系 「今治城跡」の解説 今治城跡いまばりじようあと 愛媛県:今治市今治城下今治城跡[現在地名]今治市通町三丁目慶長年間(一五九六―一六一五)の藤堂高虎の築城に始まる。寛永一二年(一六三五)に松平定房が入城し、以降明治二年(一八六九)の版籍奉還まで二三五年間、今治藩主松平家の居城であった。現在は城塁と内堀が残り、県指定史跡。慶長五年関ヶ原の戦功で二〇万石の大名となった藤堂高虎は、唐子(からこ)山山頂の国分(こくぶ)城から今治平野の中心に居城を移すことを計画し、蒼社(そうじや)川北岸の低地を選んで、同七年六月城普請に着工した。築城以前は小田の長浜・今張の浦とよばれた人家もまばらな海浜で、本丸の辺りは小砂丘があり、いわゆる吹揚(ふきあげ)であったという。ちなみに、今治城は別称吹揚城ともいった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by