ゼーランディア城(読み)ぜーらんでぃあじょう(その他表記)Casteel Zeelandia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゼーランディア城」の意味・わかりやすい解説

ゼーランディア城
ぜーらんでぃあじょう
Casteel Zeelandia

17世紀、オランダ東インド会社台湾占領し、台南安平の地に築いた城。当時の台南には、前面に一小島(北線尾)があり、北は鹿耳門(ろくじもん)の水道を限り、南には鯤身(こんしん)と名づけられる諸島が続いて浅い湾(台江)を形成していた。1623年に渡来したオランダ人はこれをタイオワンTaijouanの港とよび、24年鯤身北端の旧城跡に仮城を築いて、初めオランジと名づけ、27年にはゼーランディアと改称した。32年末、四稜堡(しりょうほ)をもつ石壁造りとし、その後外城もつくられて、重要倉庫、長官宅なども中に移され、数次の修復を経て40年ごろにはほぼ完成をみ、オランダ台湾統治の首城とされた。61年、鄭成功(ていせいこう)は台湾に来襲し、この城を陥落させて安平鎮と称したが、清(しん)朝時代には陸地が隆起して重要性を失い、城塞(じょうさい)は廃址(はいし)となった。江戸時代の貿易家浜田弥兵衛(やひょうえ)がオランダの台湾長官ノイツと争いを起こしたのはこの城である。

[中村孝志]

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百科事典マイペディア 「ゼーランディア城」の意味・わかりやすい解説

ゼーランディア城【ゼーランディアじょう】

台湾におけるオランダ東インド会社植民拠点。1624年今の台南港入口に築かれたこの城Zeelandiaはマニラマカオ中間に位置し,福建省沿岸と台湾海峡をおさえる要点を占め,中国貿易で栄えた。1661年鄭成功軍が占領,安平鎮と改称。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ゼーランディア城」の解説

ゼーランディア城
ゼーランディアじょう
Zeelandia

1624年台湾南西部の安平 (アンピン) の一小島にオランダ人が築いた城
オランダの東アジア貿易の根拠地として,北部淡水 (タンシヨイ) に拠ったスペイン人を追放し,日本・中国と通商して繁栄した。1661年鄭成功 (ていせいこう) によって対岸のプロビンシア城とともに滅ぼされ,オランダ人は台湾から撤退した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゼーランディア城」の解説

ゼーランディア城(ゼーランディアじょう)
Zeelandia

1624年台湾南部に進出したオランダ人が,台南市の西方安平(アンピン)に築いた城塞。61年鄭成功(ていせいこう)に攻略された。当時オランダ人は台南市内にもプロビンシア城を築いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゼーランディア城」の意味・わかりやすい解説

ゼーランディア城
ゼーランディアじょう
Zeelandia

オランダ東インド会社が中国貿易のため,1624年に台湾西岸の台南の外港安平に築いた城。 61年に鄭成功の軍により占領された。

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